つらつらと日常を記しております。
漫画やらの感想とか、お酒の感想とか。たまに時事ネタにつっこむ……かも。
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昨日のことではあるが、注文していた「ADVENT CIRNO」が届いた。
たまたまネット上で設定だけを見かけて興味はあったのだが、結局後押ししたのはその作者が牛木さんだとわかってからはほしくてたまらなかったのだ。
とうとう同人誌に手を出してしまったわけだが、後悔はしていない。
ってか、普通に面白い。
私は東方に限らず、基本的に二次創作物は原作の雰囲気を壊さないものを好む。
原作の雰囲気が好きな場合がほとんどだからだ。
しかしながらこの作品のように、普通に読めてかつ面白いと感じるものも確かに存在する。
なぜだろう。
特にいい案が思いつくわけでもないが、おそらく「自然さ」がきちんとあるからな気がする。
原作の雰囲気で明らかに違うことをするから気になるのであって、きちんと世界が再構築されていれば逆に面白いと感じられるということなのだろう。
だから、自分で何かを創作するときにも、世界観をしっかりと構築することを意識したいと思う。
ちなみに。
個人的な話であるが、私はこの作者は結構好きな漫画家さんである。
話のテンポがよく、さくさく読みすすめられるのと、そのヒーロー像が自分のイメージと重なりやすいところが理由なのだろう。
別に「熱い」ヒーローが好きなわけではないが、なんでか波長が合うらしい。
応援しています。
たまたまネット上で設定だけを見かけて興味はあったのだが、結局後押ししたのはその作者が牛木さんだとわかってからはほしくてたまらなかったのだ。
とうとう同人誌に手を出してしまったわけだが、後悔はしていない。
ってか、普通に面白い。
私は東方に限らず、基本的に二次創作物は原作の雰囲気を壊さないものを好む。
原作の雰囲気が好きな場合がほとんどだからだ。
しかしながらこの作品のように、普通に読めてかつ面白いと感じるものも確かに存在する。
なぜだろう。
特にいい案が思いつくわけでもないが、おそらく「自然さ」がきちんとあるからな気がする。
原作の雰囲気で明らかに違うことをするから気になるのであって、きちんと世界が再構築されていれば逆に面白いと感じられるということなのだろう。
だから、自分で何かを創作するときにも、世界観をしっかりと構築することを意識したいと思う。
ちなみに。
個人的な話であるが、私はこの作者は結構好きな漫画家さんである。
話のテンポがよく、さくさく読みすすめられるのと、そのヒーロー像が自分のイメージと重なりやすいところが理由なのだろう。
別に「熱い」ヒーローが好きなわけではないが、なんでか波長が合うらしい。
応援しています。
実験がぜんぜん成功しない。
去年の秋に本格的に実験の授業が始まってから痛感していたことだが、ことここにいたってその弱点を痛感する。
きちんと量って行っているはずなのに、ぜんぜん起こるべき反応が起きない。
同じようにすすめているはずなのに、すべての実験をきちんとこなせる人もいる。
この違いはいったい何なのだろうか。
下手は下手なりに考えて行っているのだが、どうしても成功しない。
あらかた温度あたりが問題なのだろうが、ソレにしたって極端すぎないか……。
期限までに何とかして間に合わせたいと思うが、先が見えない。
まあ将来研究者になればもっと凄惨な心情で行う可能性もあるんだから、これくらいは乗り越えてしかるべき、ということなのだろう。
もっとも、研究者にはならないだろうと思うのであるが。
去年の秋に本格的に実験の授業が始まってから痛感していたことだが、ことここにいたってその弱点を痛感する。
きちんと量って行っているはずなのに、ぜんぜん起こるべき反応が起きない。
同じようにすすめているはずなのに、すべての実験をきちんとこなせる人もいる。
この違いはいったい何なのだろうか。
下手は下手なりに考えて行っているのだが、どうしても成功しない。
あらかた温度あたりが問題なのだろうが、ソレにしたって極端すぎないか……。
期限までに何とかして間に合わせたいと思うが、先が見えない。
まあ将来研究者になればもっと凄惨な心情で行う可能性もあるんだから、これくらいは乗り越えてしかるべき、ということなのだろう。
もっとも、研究者にはならないだろうと思うのであるが。
教員免許取得のための講義を取っていたりすると、日本の学校制度などについて考えるときがある。
PISAの学力調査を受けての学習指導要領の改訂。小学校は今年度、中学校は来年度。
そこに含まれているのは、果たして本当に未来を慮ってのことなのだろうかという気がしないでもないが、まあいい。
そういえば、PISAの学力調査の上位は、ほぼアジア勢で占められている。
まあ日本を除けば今急成長しているのは中国やら韓国なので、当然といえば当然の結果なのだろう。
もっとも中国の場合「上海」のみで勝負を仕掛けているのだから、その実態をどこまで表しているかは疑わしい。
ともあれ。
アジア勢が強いのは、欧米に比べれば教育の平等というものが行き届いているからなような気がする。
フィンランドも高い位置にいるが、フィンランドに王政だの貴族だのは現存しているのだろうか。いるなら、どうやって教育を行っているのかむしろ興味がある。
日本にいると当たり前のように受ける義務教育制度。
しかしこの義務教育もとい初等教育、国ごとにまったく性格が違うのだと最近よく授業でよく聞く。
科学嫌いが叫ばれ、数値としても実際に科学嫌いは顕著に現れている一方で。
全国民が相応レベルの「初等教育」を受けることができるというシステムは歓迎できるのではないだろうか。
むしろ問題は「高等教育」に対する無関心と、PISAの順位が「上がった」「下がった」しか議論しない現状にあるのではないだろうか。
教育がステータスに還元され、学問の本質が覆われているのではないか。
そんなことを考えながら、講義棟の階段を下っていた。
PISAの学力調査を受けての学習指導要領の改訂。小学校は今年度、中学校は来年度。
そこに含まれているのは、果たして本当に未来を慮ってのことなのだろうかという気がしないでもないが、まあいい。
そういえば、PISAの学力調査の上位は、ほぼアジア勢で占められている。
まあ日本を除けば今急成長しているのは中国やら韓国なので、当然といえば当然の結果なのだろう。
もっとも中国の場合「上海」のみで勝負を仕掛けているのだから、その実態をどこまで表しているかは疑わしい。
ともあれ。
アジア勢が強いのは、欧米に比べれば教育の平等というものが行き届いているからなような気がする。
フィンランドも高い位置にいるが、フィンランドに王政だの貴族だのは現存しているのだろうか。いるなら、どうやって教育を行っているのかむしろ興味がある。
日本にいると当たり前のように受ける義務教育制度。
しかしこの義務教育もとい初等教育、国ごとにまったく性格が違うのだと最近よく授業でよく聞く。
科学嫌いが叫ばれ、数値としても実際に科学嫌いは顕著に現れている一方で。
全国民が相応レベルの「初等教育」を受けることができるというシステムは歓迎できるのではないだろうか。
むしろ問題は「高等教育」に対する無関心と、PISAの順位が「上がった」「下がった」しか議論しない現状にあるのではないだろうか。
教育がステータスに還元され、学問の本質が覆われているのではないか。
そんなことを考えながら、講義棟の階段を下っていた。
日曜日は無駄に過ごす。と決めているわけではないのだが、結果的にだらだらと時間が過ぎることが多い。
他の日はある程度充実はしているので、日曜日だけは休息を入れるイメージですすめられたらベストなんだと思うが、なかなか難しい。
閑話休題。
資本主義について考えてみる。
最近感じるのは、この資本主義という概念そのものが日本人の気質にあっていないのではないかということだ。
そもそも土台からして、他人を蹴落とすのがこのシステムの概要である。そこから社会保障の概念が生まれたというのは別段驚くべきことでもなく、ゆえにこそ欧米によくあった思想だとつくづく思う。
要するに、他人を平気で蹴落とせる人間が、資本主義の主人公なわけだ。
もう少しオブラートに包むなら、ビジネスにおいて非情になれる人間のためのシステムということになる。
で、そのシステムにどう考えても日本人の気質はあっていない。
今回の震災で外国に賞賛された誠実さは、逆に考えればそのような状況でも他人に気を配ることができるということだ。自分の命が危険にさらされている状況ですら、ということである。
こういった性格で、厳密に資本主義など実行できるはずもない。
実際、東京電力に対して政府が助成をする始末である。そのほかにも、主要な企業に対してはなんらかの処置を行うことも多い。
そのくせ、資本主義の思想――富める者はより富める――を推進する。
正直、失笑すらおこがましい。
私自身は日本人のこの気質そのものは嫌いではないし、むしろ好きである。
だからこそ、日本人だからこそできる「思いやりの資本主義」あるいはまったく新しい思想での舵取りをなぜしないのかと疑問になる。
無論「厳密な資本主義」から外れれば諸外国との競争力で苦戦するし、今起きている産業の空洞化がさらに進むのは確実であるから難しい問題であるのは承知している。
だがこのあたりで、選択をしなければならないのではないか。
このまま貫き通せない資本主義で衰退するか。
あたらしい舵取りで、日本としてのアイデンティティを有する形にするか。
今のままの経済体系にこだわるのであれば、日本人が日本を見限る日も遠くないのではないだろうか。
他の日はある程度充実はしているので、日曜日だけは休息を入れるイメージですすめられたらベストなんだと思うが、なかなか難しい。
閑話休題。
資本主義について考えてみる。
最近感じるのは、この資本主義という概念そのものが日本人の気質にあっていないのではないかということだ。
そもそも土台からして、他人を蹴落とすのがこのシステムの概要である。そこから社会保障の概念が生まれたというのは別段驚くべきことでもなく、ゆえにこそ欧米によくあった思想だとつくづく思う。
要するに、他人を平気で蹴落とせる人間が、資本主義の主人公なわけだ。
もう少しオブラートに包むなら、ビジネスにおいて非情になれる人間のためのシステムということになる。
で、そのシステムにどう考えても日本人の気質はあっていない。
今回の震災で外国に賞賛された誠実さは、逆に考えればそのような状況でも他人に気を配ることができるということだ。自分の命が危険にさらされている状況ですら、ということである。
こういった性格で、厳密に資本主義など実行できるはずもない。
実際、東京電力に対して政府が助成をする始末である。そのほかにも、主要な企業に対してはなんらかの処置を行うことも多い。
そのくせ、資本主義の思想――富める者はより富める――を推進する。
正直、失笑すらおこがましい。
私自身は日本人のこの気質そのものは嫌いではないし、むしろ好きである。
だからこそ、日本人だからこそできる「思いやりの資本主義」あるいはまったく新しい思想での舵取りをなぜしないのかと疑問になる。
無論「厳密な資本主義」から外れれば諸外国との競争力で苦戦するし、今起きている産業の空洞化がさらに進むのは確実であるから難しい問題であるのは承知している。
だがこのあたりで、選択をしなければならないのではないか。
このまま貫き通せない資本主義で衰退するか。
あたらしい舵取りで、日本としてのアイデンティティを有する形にするか。
今のままの経済体系にこだわるのであれば、日本人が日本を見限る日も遠くないのではないだろうか。