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つらつらと日常を記しております。 漫画やらの感想とか、お酒の感想とか。たまに時事ネタにつっこむ……かも。
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一生懸命夕飯の献立を考える。
もともと4月くらいは割合まじめに考えていたのだが、最近手を抜いていた。

そもそもなんで夕飯の献立をまじめに考えているのか。
それは、先週の金曜日にさかのぼる。
学校のイベントで、栄養士さんに相談コーナー、的なものがあり、そこで友人と共に訪れたときのこと。
前の二人をぽけーっと観察しながら話を聞いていたのだが、栄養価でコマを完成させよう! という取り組みで、自分で考えてみたら段抜けになる(汗
普通は段抜けにはならず、これが不足しているからとりましょう、となるのだが……。

段抜けは、かなりまずい。

しかも、段があるところでも栄養価が届いてない(滝汗

これはイカンということで、必死に夕飯だけでも充実させようと奮闘している。
のだが、今日みたいに6限があると帰ってくるのは8時過ぎ。下手をすると9時前。
そっから何か作るというのもきつい……。
ついつい一食で済まそうとするのだけども、栄養士さんの「10年後どうなっていても知りませんよ?(ニッコリ)」が怖いので怠けそうになりながら頑張っている。

そういえば、今日の教育関係の授業で興味深いことを聞いた。
割合有名な話らしいのだが、「怠けながら学習すると、どのとき同時に怠けることを学習している」という趣旨の言葉があるそうだ。
なるほど、と思う。
確かにその言葉通りだし、怠け続けてきた自分にはなかなかヘビーな言葉だ。

せっかくなので、夕飯をしっかりと作ることで怠け体質も改善してやりたいと願う今日この頃である。
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もんじゅの装置引き上げが昨日完了したらしい。
敦賀は割合と近い位置にあるので、気になっていなかったといえば嘘になるから、その結果に関しては素直によかったと思う。
もっとも、もんじゅの場合は装置の引き上げ云々よりも発電系が特殊なほうが気がかりではあるのだけども。

原子力発電に対する風当たりが日増しに強くなっている。
当然といえば当然だが、科学が好きな人間としては残念な気持ちがあるのも確かだ。
もんじゅの発電機構にしたって、科学好きにとっては非情に興味深いものである。
あるのだが、誰もが誰もそれに興味があるわけではないし、放射能に対する妙な知識が氾濫する以上それに対して不安を感じるのも無理はない。

とはいえ。
放射能の危険性はぶっちゃけ科学的にはなんも分かってないし、以前に述べたように子どもは甲状腺に影響を受けやすいというだけで、じゃあここから先は危険です、という指標が存在するわけでもない。
また、原発で働く人の発ガン率が……という議論で危険を煽っているものほど、人数だけで平均とのずれを示さないことが多い。少なくとも私は見たことがない。
ウラン鉱山の子どもが……という記事に、その鉱山のSvが記述されていることはなかった。
情報というのは、そんなものなのだということだろう。

正直、年間数mSv程度ならば、いまの食生活のほうがよっぽど危険だと考えられるのだが、そんなことが報道されている気配なんぞありはしない。
自分たちの今の生活が引き起こしている生活習慣病やがんのリスクと、今騒がれている程度の放射線とどちらが危険なのかなんて一目瞭然である。

放射線被爆は、累積量ではなく短時間にどれだけ受けたかの世界である。
同じ20mSvでも、「一年平均したら20mSv」なのか「今日一日だけで20mSv(後は0と仮定)」なのかでは後者のほうが遥かに危険で、前者についてはほぼ心配ないレベルになる。ただし前者にしたところで、半減期の長い核種になれば蓄積するので危険性は変わってくるし、下手をすればUよりもSrのほうが、人体に対する影響はでかいかもしれない。(UはSrほど吸収されない)
問題は子どもだけども、ここに関しては私も危険性が低いと”断定”はできないと思う。自然放射線との兼ね合いを見れば危険ではないとは思うし、そう判断できると思うけども、細胞分裂速度を考えると懸念が残らないかといえば嘘にはなる。

ともあれ、こういうことを知らずに「放射能は危険」と思い込むほうがよほど危険ではないのか。
いや、量が増えれば危険なのは確かだけども、それを言い出したらキリがない。そもそも、塩だって取りすぎればあっさり脳卒中などの病気を引き起こす。
ガイガーカウンターでうんたらとか、ホットスポットだとか言う前に、放射能と放射線に対する正確な知識を身につけるほうが大切だと思う次第だ。
池田小の事件から8日で10年たったらしい。
あの事件は、今でも鮮明に覚えている。
ちょうど5年生の演習キャンプ的なものから帰ってきて、ただいまの後に見たのが事件の映像だった。

あのころというのは不審者関連のニュースが連日報道されていて、その上日経平均株価が下がっているというのに代表されるように、就職氷河期の最後の付近(今はもっとひどいけども……)、失われた10年という言葉が使われるかどうかというころあい。
景気悪い⇒不審者増加、といったような図式でマスコミが報道していたように思う。
そんな時勢に起こったのがあの事件だった。

池田小の殺傷事件というのは、たぶん日本の犯罪史に永久に刻まれるレベルの事件で。
そこより前に起こっていた事件といえばオウムのサリンだけども、さすがにそれは映像くらいしか覚えていない。
こういう「事件」がおこると、必ずそこに対する不備が指摘される。
殺傷事件のときは小学校の警備が取りざたされた。
用は監視カメラだの校門だのといったやつだ。
話を現代に戻せば、原発事故に対する「認識の甘さ」とか言われてるやつも同類である。

で、そこに対する認識が足りなかったからこの事件が起きたんだ。防げたはずだ。とかにつながってくる。
毎回思うのだが、それは「結果論」だし「無責任」だ。
そもそも「起こるかもしれない」で行動できる人間なんてそうそういない。

信号が黄色に変わって、加速して切り抜ける。
これは警察が見てれば減点は明らかだが「まあいないだろう」という判断で行う人が多い。
もしもつかまれば「運が悪かった」で済ます人が大半のはずだ。

犯罪史、あるいは歴史に残る事故の原因に対して「思慮が足りなかった」で済まされるかといえば、答えはもちろんNOであるし、それを擁護するつもりはない。
問題は、考えるのは専門家の仕事で、私たちには関係ないという姿勢にあると思う。
池田小のときは、先述したように不審者が多いという時勢だった。
学校の防衛システムについて考えないとまずいんじゃない? という意見がちらほら出ていたものの、行動したところはごくわずかだった。
世間の感覚として「まずいんじゃない?」なら、費用的に見たって実行するはずがない。
むしろ専門家が危険性を指摘しても、まあ大丈夫だろう、で済ませてしまうのが我々ではないのか。
危険性に偶然性が伴えば伴うほど、起きないと考えてしまうのが人間ではないのか。

人は失敗から学ぶ。
事件の大きさは、どれだけの規模で人々の意識に刷り込まれるかの尺度でしかない。
事件・事故が起きなければ、そこに対する意識が低下するのが必然で、だからこそどこかで何かがおきるという循環作用が存在する。パラドックスと言ってもいいかもしれない。
事件の規模は関係ない。
事件・事故の起こす「自分への影響」に対して「関係ない」「被害者である」は無責任で無自覚。(ただしこれは防衛上のシステムや意識の話で、実際の被害者に対する弁ではないことを述べておく)
社会を揺るがす事件・事故だからこそ、個人の意識にまで還元して「失敗から学ぶ」を貫く必要があると思う次第だ。
大学院についてそろそろまじめに考えないといけない。
そう思うものの、そもそも自分が何をしたいのかわからない。
研究内容という意味も多少はあるが、それ以前に。

そろそろ「教師」か「研究者」かを選ばなければならない時期なのだろう。

現実的に考えるなら、教師という選択肢が一番であるのは疑いない。
その他の公務員になろうという気はないから、このまま教員免許を取って……という進路も悪くない。
第一、お金がかからなくてすむ。
金銭的に、研究者というのは苦しい部分が多いと言わざるを得ない。そもそもチャンスをつかめるかも怪しい。
マスターを取って、それで就職……も考えたが、企業で働く自分はあんまり想像できない。

院に行くなら、研究者になろう。

そう考えてしまう。というか、たぶんソレを選択する。
結局後は、親と相談ということになる。
今までわがままを聞いてもらった分、ここで「無理」といわれたほうが楽で、気にせず教師を目指せる。
が、たぶんそうは言わないだろう。そういう親だし、そんなスタンスも感謝している。

だからこそ逃げずに、そろそろ。
親と金銭的な面での相談というものをする時期が来ている。そういう状況なのだ。
そんなことを考える今日この頃である。
疲れた。

金曜日に靴が壊れて(比喩ではない)、日曜日に買わなければいけないとわかっていたため、気合で10時に起きて自転車をこぐ。
靴そのものは大して問題ではなかったのだが、本屋に寄ってヒューイの無機化学とマッカーリの物理化学(下)を買おうという目標があった。
そこで、帰らずに一路本屋を目指す。

普段よく利用していて、物理化学の(上)を買った本屋で(下)は見つけたものの、無機化学がない。
別に切り上げてもよかったのだが、専門書がしっかりとそろっている県下最大級の本屋へと足を伸ばそうとそこで思い立つ。
お金を下ろしたら20万を切ってしまって、やるせなかったのも一因といえば一因。ここまできたら買うしかないだろ、的な。

で、駅西の本屋まで出向く。
この本屋まで行くときにはエルフェンリートを買うことを決めていて、いい加減面倒なので残り6巻をまとめて買ってしまおうと考え……やっぱりお金が減る(泣
ともかく、駅西の本屋にたどり着いて、

無機化学がない

という、最悪の事態。
ってか、ここでないものどうしろと。
帰ったら14時半で、最大の目標が達成されずとか意味わからん。
生協ですか。生協を信じればいいんですか……。
仕方がないのでエルフェンリートだけ買って帰って、読んで鬱る。
昔の作品なので感想言っても仕方がないが、最後のあの人に違和感は残った。

で、母親へ電話。
用事を話した後に少し深刻な話に流れて、その関係で来週大阪へ行くことに。
こういうとき、どのような反応をすべきかわからない。経験値が足りなすぎる。
というより、ここにきてそういうものを一気に経験している。
今まで知っている人がいなくなるなんてことが、幸いにもほとんどなかった幸運をいまさらながら痛感する次第だ。

……勉強しよう。
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考え事しながら何もしないのが理想……。
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